学生時代まではあるのが当たり前で、卒業すると同時に消えてなくなるもの。その代表格は、“出席番号”だろう。
「名前の五十音順」「誕生日順」「アルファベット順」など、地域差はあるものの、いずれかのルールで順番が決まることになるこの出席番号は、学生生活を過ごしていく中で、様々な場面で影響してくる。
なかでも、最も出席番号による影響を強く受けるのは、番号が“1番”の人だろう。そんな“1番”の人たちが思い出を語り合うスレッド「出席番号一番の辛さ分かる人いる?」が、2
ちゃんねるのニュー速VIP板に立てられ、盛り上がっている。
まず、 出席番号“1番”のポジションで最もつらい思いをした点として多く書き込まれたのは、
「何をするにしても必ずトップバッター 引っ込み思案の俺にはキツ過ぎた」
「一番は常にオリジナリティを求められるんだよ お前らにそれが出来んのか?」
「入学式、卒業式を思い出すだけで疲れる しかも一組だぞ?」
など、学生生活を象徴する入学式や自己紹介、卒業証書授与などの際にトップバッターになってしまう点だ。
このほかにも、「注射の怖さ思い出した」と、インフルエンザ流行の時期などに校内で行われる予防接種の際、最初に注射される立場になってしまうことにつらさを感じたという“1番”のユーザーも見られた。 ほかにも“1番”の人たちは、最初の座席が教室の端の列の先頭になってしまうため、クラスメートとなじみにくいという“あるある”なつらさもあるようだ。
だが、このような“1番”の人たちの嘆きに対して異論を唱えるのが、出席番号が最後の人たちだ。
「身体測定する時最初教室に帰れるってのはよくね?」
「健康診断とかで終わった人から教室で自由時間ってときの絶望感」
「最後だって辛いさ。終わった人から帰れるとかだと時間を確実に損してる」
など、「なにをするにも1番最後」のつらさとともに、“1番”の人は“終わった人から〇〇”の場面で得をしている、という“最後”のユーザーからの指摘が見られる。
また、いつもは“1番”から始まることが、先生の気まぐれで出席番号が最後の人から発表等をしていく「逆から発表しましょうの不意打ち感」を訴えるユーザーも現れた。これには“1番”のユーザーからも、「たまには逆から発表してもらいましょうの時の安堵感」と、うれしく感じたことが書き込まれている。
1番でも最後でもないユーザーたちからは、「タ行の安定具合」「20番前後の俺はどちらからきても対応できた」などと余裕の声が書き込まれており、やはり何かのトップバッターを担当したり、最後まで待ったりする際の諸々のつらさは、当事者にしか理解できないようだ。
学生を卒業すると、出席番号について考える機会は少なくなるが、このスレッドを読むことで、ここに挙がっている、「
相内さん」や「
相川さん」、もしくは「和田さん」や「渡辺さん」など「名前の五十音順」で何らかの不便を感じてきた人たちの気持ちを少しは理解することができるかもしれない!?
(R25編集部)
出席番号1と最後どっちがつらい?はコチラ
※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです
「名前の五十音順」「誕生日順」「アルファベット順」など、地域差はあるものの、いずれかのルールで順番が決まることになるこの出席番号は、学生生活を過ごしていく中で、様々な場面で影響してくる。
なかでも、最も出席番号による影響を強く受けるのは、番号が“1番”の人だろう。そんな“1番”の人たちが思い出を語り合うスレッド「出席番号一番の辛さ分かる人いる?」が、2

まず、 出席番号“1番”のポジションで最もつらい思いをした点として多く書き込まれたのは、
「何をするにしても必ずトップバッター 引っ込み思案の俺にはキツ過ぎた」
「一番は常にオリジナリティを求められるんだよ お前らにそれが出来んのか?」
「入学式、卒業式を思い出すだけで疲れる しかも一組だぞ?」
など、学生生活を象徴する入学式や自己紹介、卒業証書授与などの際にトップバッターになってしまう点だ。
このほかにも、「注射の怖さ思い出した」と、インフルエンザ流行の時期などに校内で行われる予防接種の際、最初に注射される立場になってしまうことにつらさを感じたという“1番”のユーザーも見られた。 ほかにも“1番”の人たちは、最初の座席が教室の端の列の先頭になってしまうため、クラスメートとなじみにくいという“あるある”なつらさもあるようだ。
だが、このような“1番”の人たちの嘆きに対して異論を唱えるのが、出席番号が最後の人たちだ。
「身体測定する時最初教室に帰れるってのはよくね?」
「健康診断とかで終わった人から教室で自由時間ってときの絶望感」
「最後だって辛いさ。終わった人から帰れるとかだと時間を確実に損してる」
など、「なにをするにも1番最後」のつらさとともに、“1番”の人は“終わった人から〇〇”の場面で得をしている、という“最後”のユーザーからの指摘が見られる。
また、いつもは“1番”から始まることが、先生の気まぐれで出席番号が最後の人から発表等をしていく「逆から発表しましょうの不意打ち感」を訴えるユーザーも現れた。これには“1番”のユーザーからも、「たまには逆から発表してもらいましょうの時の安堵感」と、うれしく感じたことが書き込まれている。
1番でも最後でもないユーザーたちからは、「タ行の安定具合」「20番前後の俺はどちらからきても対応できた」などと余裕の声が書き込まれており、やはり何かのトップバッターを担当したり、最後まで待ったりする際の諸々のつらさは、当事者にしか理解できないようだ。
学生を卒業すると、出席番号について考える機会は少なくなるが、このスレッドを読むことで、ここに挙がっている、「


(R25編集部)
出席番号1と最後どっちがつらい?はコチラ
※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびweb R25から一部抜粋したものです